【ペンネーム(掲載時のお名前)】てぃーたんさん
【性別】女性
【年齢】33
【住所】東京都武蔵村山市
【「親孝行大賞」のタイトル】
「ごめんなさい」より感謝の言葉を
【「親孝行大賞」の本文】
病室の中、一定のテンポで刻まれる機械音と管から漏れる呼吸だけが静寂を裂いていた。「今夜が山です」とドラマのような決め台詞を口にしてその場を後にする医師の姿を横目に、私は途方に暮れて涙を流すことしか出来なかった。
父はもう、脳死状態にあるという。苦しみや痛みは感じていないそうだ。
全身を癌に蝕まれ、自力での歩行が困難になってからも、父は一言も弱音を吐こうとしなかった。そんな父の姿が鮮明に脳裏に蘇る。
思い出される姿はどれも、満面の笑顔を浮かべてる。父は強い人だった。いや、最期まで弱音を吐きだす時間がどこにも用意されていなかっただけかもしれない。
縁起でもないなんて言葉に逃げて、考えることを拒否してしまっていたから。
突如として響き渡る耳をつんざくような警告音。
「延命処置は父の望むところではありません」
父が私に残した最後の願い。終の信託は私が伝えた。
医師が処置をしないのはそれの所為。静かに、時を止めようとしている父に出来る最期の親孝行だと自分自身に言い聞かす。それでも気持ちが追い付かない。
ごめんなさい。
意識するよりも先に言葉が口からこぼれ出た。
すがり付き、泣きわめきながら幾度となく謝罪の言葉を繰り返す私に、兄がそっと
「人は皆、心臓が止まった後も5分間は周りの音を聞いてるって云うからさ。最期こそごめんなさいより、ありがとうって伝えようよ」
と呟いた。
心肺停止を告げる音を聞きつけた看護師が部屋に慌ただしく傾れ込み、そこに紛れた医師が「ご臨終です」と父の最期を告げた。
堰を切ったように母が泣き崩れ、傍に居た叔父や叔母が壁や床に顔を背けた。そんな中、我先にと兄が去り行く父に届けとばかりに「ありがとうございました」と声を震わせ、頭を下げた。「今までありがとうございました」「本当にありがとうございました」と、兄と私の声が交差する。
兄に助けられ、最後に選んだ私の孝行。ちゃんと届いていたのかな。
あれから10年。
私にはまだ判らないけど、また会えた時には教えて下さい。
その時まで。
じゃあ、またね。