【お名前】大藤さん
【性別】男性
【年齢】70代
【住所】福岡県
【「親孝行大賞」のタイトル】
親父との一本勝負
【「親孝行大賞」の本文】
親父が病院から外出の許可をもらったので久しぶりに家族水入らずで近くの公園に散歩に出かけた。
緑の芝生を歩くことが気持ちよさそうで、親父は私に、一丁やるか、と声をかけてきた。母や妹は、やめなさいよ、と笑いながら言っているが止めてはいない。
よし、私も応じた。親父は柔道が好きだ。だから私や弟も柔道をやっている。柔道着はないが、お互いシャツの上から肘と襟をつかんで組手をし、間合いをはかっている。
お互いに何度か仕掛けているうちに私は親父の体重がずいぶん減っていることに気が付いた。前立腺癌がかなり進行している、と医者から言われていた。今日の外出も家族とのひと時を過ごせるようにとの医者の配慮からだった。
親父は生活のために炭鉱に入り、真っ黒になって家族を養い、子供3人を大学まで行かせてくれた。私は今まで親父に親孝行らしいことはしていない。親父の明るい顔を見ていると申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。
シャツの上から親父のぬくもりが伝わってきた。ふっと親父の体が沈んだ時、私の体は空中に舞い上げられた。内また一本、弟が手をあげた。母と妹は拍手をした。
まだ、病気なんかに負けないぞ、親父の笑顔が小春日和に輝いていた。まいりました、私の言葉に親父はいっそう愉快に笑った。みんなも満面笑みだ。
俺に負けても人生に負けるなよ、母さんをみんなで大事にしてくれ、親父は悟ったような口調で私達に言った。この一本勝負が親父の遺言だったかもしれない。
その年の大晦日、親父は彼岸へと旅立った。母は今年卒寿を超えた。私達は親父の言葉を胸に母に孝行、否、ご恩返しをしている。