広島県広島市
きむらあらた様の作品
新卒でマスコミ業界に就職。実家の大阪を出て、大都会東京で一人暮らし。やっと手に入れた初任給で親孝行しようと決意したが、何をすればいいのか…。考えに考えて、両親に温泉旅行をプレゼントすることにした。
「おかん、就職してちょっと慣れてきたし次の週末実家帰るわ!」
「わかった~、何食べたいんや?から揚げか? ハンバーグか?」
「から揚げ頼むわ」
恥じらいなのか、有難うも言えないバカ息子でごめんなと思いながら、電話を切った。
夕方ごろ実家に到着し、から揚げを食べ、父親と酒を飲みながら他愛もない会話をして、それを母は少し離れて聞いている。父は大きな声で笑い、母は会話に入っては来ないが頷きながら笑っていた。
会話の流れで、温泉旅行のプレゼントをそっと渡して、
「初任給余ったから、これ。二人で行ってきい!お土産待ってるわ」
と、また恥じらいから感謝の言葉を添えて渡すことはできなかった。
父と母は喜んでいるかは分からなかったが、とても驚いていた。
「ほんまにええの?せっかくの初任給やのに」
と何度も何度も確認してくる母。
父は、温泉旅行のパンフレットとチケットを見ながら一言も喋らず酒をもう一杯飲んだ。
東京に戻った僕は、プレゼントしたことを忘れていたが、不意に母から写真が送られてきた。旅館の前で父と母が肩を組んで笑っている写真。
この写真を見ていると、こっちまで笑ってしまう。親の写真で、笑うなんてことあるのかと少し驚いた。大人になった気がした。初めての親孝行は満足いくものだった。
それから数十年。私も結婚し、娘が二人。質素な生活ではありますが、幸せな日々だった。
父は認知症になり、老人ホームで生活している。会いに行くと「お、若い衆。名前なんだっけ」と毎回自己紹介から始まる。そんな父が、いつも昨日のことのように、話す。「俺には息子がいて温泉に連れて行ってくれたんだ」と。
息子が酒を飲めるようになったこと、本当は三人で温泉に行きたかった事、温泉の仲居さんみんなに息子に招待されたと自慢したこと…。
私が息子だということは分かっていないようだが、いつも満面の笑みで「自慢の息子だ」と締めくくる。
うんうん。と母と私は毎日聞く。そして、毎日、「お話聞かせてくれてありがとう」と伝え、1日が終わる。
私の初めての親孝行は失敗ではなかったのかなと少し安心した。そして、聞くたびに涙と笑みがこぼれてくる。あなたの息子で良かったですと。