『天国の母への親孝行』|親孝行大賞受賞作品

京都府京都市
鈴 木 美 智 子様 (50代女性)

全盲の母は、42歳の時、第1回視覚障害者マラソン大会への出場を決め、唯一の家族である私は、必然的に伴走者となった。
3週間の練習の後、3キロの部に出場し、初の大会で母は優勝した。以後、35年間、二人三脚での、練習と大会の日々が続く。

「継続は力なり」「出来る人と違って、出来なければ、人の何倍も何十倍も努力しないといけない」と言い、たゆまぬ努力を重ねた母。走り始めて3年目、「フルマラソンを走ると足が棒になると聞くけど、自分で体験したい」と、母が選んだのは、ホノルルマラソン。

中学3年、受験の年で迷う私に、「1週間学校休んで落ちるようなら、休まなくても落ちる」と、母はきっぱり言い、共に参加。

ゴール直後は、疲労が大き過ぎて、「二度とこんな事はやめよう」と言っていたのだが、日が経つにつれ、走り切れた喜びと感動が沸き上がり、帰りの飛行機の中では、「来年も絶対来ようね」という言葉に変わっていた。

ホノルルマラソンに魅了された母は、亡くなる半年前まで、32年間、参加を続けられた。

市民ランナーの目標である、フルを4時間以内で完走する「サブ4」も達成し、母が次に掲げたのは、サロマ湖100㎞ウルトラマラソンという大きな挑戦だった。

「走歴10年、どれだけ力が付いたか試してみたい。一生一度の思い出作りに!」

母の伴走で始めたマラソンだが、いつしか私自身の生き甲斐にもなっており、母の提案する「一生一度の思い出作り」に胸が弾んだ。
結果は、時間を少しオーバーしての完走。勿論、母は翌年リベンジし、時間内完走出来るようになり、以後計8回の100キロ完走を果たした。

その母は、32回目のホノルルマラソンより帰国後、癌が発覚、病勢が強く、半年で天国に旅立ってしまった。母の伴走をした35年間、母と過ごした47年間を、「本当に親孝行だね」と、多くの方に言われたし、母にもいつも感謝された。

しかし、22歳で失明し、死を選ぼうとした時期もあった母が、マラソンを転機とし、「私より幸せな人がいるのかしら」「目から感じる光は無いけれど、心はいつもいい天気」と言いながら、前向きに輝いて生きている、その母の側に居られる事が本当に幸せで、私の原動力であった。

「3キロから始めたマラソンが、100キロ迄走れるようになった。マラソンに出逢い、生きる喜びを感じられた。この喜びを、一人でも多くの人に伝えたいし、味わって欲しい。自分の体験を無駄にせず、誰かの役に立てる生き方がしたい」との強い思いで、生涯、マラソンの素晴らしさを伝え、走り続けた母。

残りの半生、母の強い意思を必ず継ぐ。
それが、母に届くと信じて行う、私の親孝行!

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