『「あの頃の母」を助けたい』|親孝行大賞受賞作品

鹿児島県西之表市
中村さん様(30代男性)

「何でこんな体に生まれたの?」
「病気がなかったら、僕も友達と同じようにサッカーができたのに」

僕が小学校低学年の時に母に言った言葉だ。

僕には生まれつき血友病(けつゆうびょう)という、出血すると血が止まりにくい病気があった。関節の中での出血を起こしやすく、出血を起こしてしまうと、血を止めるための注射が必要になる。

関節の中の出血は例えると捻挫に近い感覚で、足首の関節はパンパンに腫れ上がり、歩くたびに激痛を伴い、血が止まっても腫れが引くのに数日を要する。そのため、当時はなるべく出血を起こさないように激しい運動は制限され、運動系の部活動は禁止されていた。

僕には仲良し3人組の友達がいたが、そのうち2人がサッカー部に入った。2人が上級生に混じってボールを蹴って練習している姿を、校庭の端で1人ポツンと羨ましく見ていたことを今でも覚えている。

なぜ病気を持って生まれたのか、こんな体に生まれなければ・・・
誰もどうしようもないから今の自分がいるのだろうと感じてはいたが、その悔しい思いをどうにか発散させたい一心で僕は母にそう尋ねた。

母は「ごめんね」と悲しそうに謝るだけだった。母への悪意があったわけではなかったが、こんなことを息子から言われる母の思いは気にも止めず、当時は悔しさの方が勝っていた。

それから時は経ち、幼少期からの病院通いの生活も影響して、僕は医学生になった。18歳で初めて親元を離れ、県外での一人暮らしが始まった。炊事、洗濯、掃除など、今まであまり意識したことのなかった母の有り難みをひしひしと感じるようになった。

そんな中、大学の授業の中で病気を持つ親の気持ちに触れたものがあり、「親は病気の子供を産んでしまった自分を責めてしまう」ということを聞いた。その時にあの頃の自分の言葉と母の申し訳なさそうな表情が蘇った。

「息子に病気があって母はとても大変な思いをしてきただろうに、それでもたくさんの愛情を持って僕を育ててくれたのに、僕は何てひどいことを言ってしまったのだろう」と急に自分が恥ずかしくなった。

次の帰省の時に、母に「あの時はごめんなさい。今まで愛情を持って育ててくれてありがとう」と伝えた。母も当時の事をしっかり覚えていたようで、ポロポロと泣いていた。

それから僕は小児科医になり、鹿児島で血友病患者会を立ち上げた。今では血友病があっても注射を打つことでみんなと同じように運動ができるようになっている。それでも病気のことで自分を責める親がいて、病気のことで悩む子供がいる。その姿はちょうど「あの頃の母」や「あの頃の僕」に重なる。

自分の経験を通して「あなたの愛情はきっとお子さんに伝わりますよ」とお話しすることで、病気で悩む親のちょっとした心の支えになれれば、それが一番の親孝行になると信じて、これからも活動を続けて行きたい。

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