ちょっといい話『必ず誰かが見ている』志賀内泰弘

友人で、ラジオのパーソナリティをしている、林ともみさんから「こんな話を思い出しました」とメールが届きました。それは、今は大学生になられた息子さん話です。

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息子が小学生のときに、ゴミをいっぱい抱えて帰ってきたことがありました。どうしたのか聞くと、近所の同級生の女の子とゴミ拾いの競争をしながら帰ってきたと。

息子は女の子に負けたのか意欲満々で、その日からしばらくスーパーの袋を持って登校し、ゴミを拾い競争をしてくるようになりました。

本人にいいことをしている意識はまったくなく、女の子よりたくさん拾いたい競争心だったと思うのですが…。

ゴミを拾う姿を見ていた方が学校に連絡をし、「幡野町あたり(うちの町内)で太った4年生〜6年生ぐらいの男の子と細くて背の高い女の子がゴミ拾いをしている」とわざわざ連絡して下さったようです。
「太った子」といい表現ですぐ息子と判明し(当時はコロコロ)

校長先生や担任の先生にものすごく褒められたのでした!

本人にいいことした意識はなかったようですが、褒められたことが嬉しかったようで、私がよく言っていた「どんな行いも、必ず誰かが見ている」ということを体感したできごとだったようでした。

ゴミ拾い競争も数日で終わってしまいましたが、やっぱり、いいことも悪いことも誰が見ているか分からないなあと思いました。

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この話を読んで、思い浮かんだことが2つあります。一つは、最近話題になっている「プロギング」です。

スウェーデン発のnewスポーツで、「ジョギング」と「ゴミ拾い」を一緒に行うもの。走るだけではもったいない。社会のためにもなるように、「ついで」に街や講演もキレイにしてしまおう、という発想です。

林さんの息子さんの行動は、まさしくコレ!もう10年以上前から、「ゴミ拾い」と「たくさん拾う競争(遊び)」を同時にしていたのです。
 
もう一つは、「良い行い」は、「必ず誰かが見ている」ということです。頭でわかってはいても、誰もが忙しいし、自分のことで精一杯です。何か直接、そして速攻で自分に得なことがないと、善行はできないものです。

でも、
「あれ、なんで僕は褒められたんだろう?」
「ただゲームみたいなつもりだったのに」
という思いだったとはいえ、こうして幼い頃に、「褒められる体験」をすると、心の中に、
「そうか、良い行いをすると誰かが見ていてくれるんだな」
という思いが、無意識に心に刻まれるのです。

とすると、子供が良い事をしたら、周りの大人はきちんと褒めてあげることが大切。それが、ゆくゆくこの国を良くしていくことに繋がるのだと信じます。

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