ちょっといい話『父から学んだこと』志賀内泰弘

もうすぐ「父の日」です。父なんて言うと、少し照れるので「オヤジ」と書きます。

オヤジは頑固者でした。大正10年生まれ。軍隊にも行っていて、幼い頃、一緒にお風呂に入ると敵の玉に撃たれたお腹の傷を見せてくれました。しかし、それがどんな状況だったのかまでは詳しく教えてはくれませんでした。

後々、私が大人になって気づくことですが、父は「戦争」というものを、自分の中で封印していたのだと思います。語らずとも、よほど辛い体験だったのだろうということが察せられました。

さて、私がまだ幼稚園の頃だったと思います。父の運転する車で高速道路を走りました。起点とする名神高速道路の小牧インターチェンジから一宮インターチェンジまでの一区間です。名神高速道路の開通は、1963年の7月16日です。私は1959年の生まれですから、開通してすぐのことでした。

制限時速は100キロ。それを超えると、当時の車は、「カンッカンッ」というような響きの警報音が鳴りました。オヤジは、私に、
「表示計を見てみろ」
と言いました。当時の車にはシートベルトは付いてなかったと記憶しています。
「なぜ、100キロまでしか出せないのに、150キロまで時速表示が書かれてあるかわかるか」
と聞きました。もちろん、幼い私にわかるわけがありません。すると、オヤジは教えてくれました。

「いいか、もし車が100キロしか出せないような性能だったとしたら、100キロギリギリまで出して走ったら壊れてしまう。150キロまで出せるけれど、100キロしか出さない。そういう余裕というものが大切なんだ」

と。まだ幼稚園の時のことなのに、今も覚えているのが不思議です。きっと、何度も何度もことあることに思い出していたからでしょう。また、こんなこともありました。たしか小学校の3.4年生くらいの時のことだったと思います。オヤジはハンドルを握って助手席の私にこう言いました。
「ハンドルというのはな、『遊び』というものがあるんだ」
「遊び?」
またまた何のことかわかりません。

「ハンドルをこうして、少しだけ右へ回す。それでは車は右へは曲がらない。それがいいんだ。もしほんの少しハンドルを動かしても車が曲がってしまったら、危ないだろう。それを『遊び』というんだ」
と。私は、オヤジにいつも反発して生きて来ました。よく怒鳴られ、言い合いもしました。でも、人生においてオヤジから得たものが大きいことに気付きます。当時はわからなったけれど・・・。

父が亡くなって、15年余りが経ちます。面と向かってなどけっして言いたくなかったし、言えませんでした。でも、ここで書いておきます。

「オヤジ、いろいろ教えてくれてありがとう。おかげで、あの時の話が人生に役に立ったよ」

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