伊集院静さんの「冬のはなびら」(文春文庫)の中に、「雨あがり」という小品があります。
群馬県の片田舎の農家に生まれた主人公の廣作は、子供の頃に木から落ちたことが原因で足が少し不自由です。家が貧しいこともあり、中学を卒業すると、鎌倉の経師屋の親方の元へ修行に入ります。経師とは、襖や壁紙、掛け軸の表具などを手掛ける職人のことです。
しかし、生来の不器用のため、なかなか上達しません。後から入門した者にも追い越され、希望を持てぬまま3年半の時を過ごします。腐りかけたある日のこと。行きつけの居酒屋の女将さんに、こんなことを言われます。
「あなたの目には見えないところで、あなたのことを見守っいてる人は何人もいるのよ」
この一言を読んで、ハッとして我が身を振り返りました。
そうだよな~、いつも周りの人たちに、見守ってもらってるな~。当たり前のことと思うと、感謝しなくなります。これはいかん。反省しつつ、友人・知人の顔を思い浮かべます。
コロナ禍が始まった頃のことです。友人ら二人と道を歩いていて、私はいつものように空き缶を拾いました。すると、一人の友人に言われました。
「お前がゴミ拾いしているのは感心する。でもさあ、どこの誰が飲んだかわからない空き缶を拾うのは、ウイルス騒ぎが落ち着くまで止めてくれ」
もう一人も。
「頼むわ。ただでさえ身体が弱いのに、心配になる」
私は、自らに課している修行の一つでしたが、彼らの厚意に応えるため、しばしらくの間、空き缶を拾うのを控えることにしました。
「心配してくれてありがとうな」
私の担当編集者と編集長の三人で、書店さんに新刊発売の挨拶に回った時のことです。朝から晩まで、スケジュールがぎっしり。途中、その隙間に、ショッピングモールの中にある飲食店でササッと、ランチをすることにしました。
ところが、私はお腹の持病があるため、食事制限があります。それも、たまたまその時、具合が良くなくて食べられるものが限られていました。二人に訊かれます。
「ここは・・・」
「すみません、フライ物はダメなんです」
「じゃあ、カレーは?」
「ごめんなさい、刺激物も」
「スパゲッティならいいんじゃない?」
「いま、グルテンフリーやってるんです」
どこもかしこもダメ。10店舗くらい回って、ようやく、そば屋さんで卵丼を食べることができました。きっと、二人は、そばじゃなくて、他の物が食べたかったに違いありません。
「付き合ってくれて、ありがとう」
お迎えにHさんという家があります。年配のご夫婦で暮らしておられます。カミさんが亡くなった後、奥さんは私の顔を見る度、声を掛けてくれます。
「大丈夫?」
「食べてる?」
買い物の帰りに、道でバッタリ会うと、
「ヤッチャ~ン、元気~」
と、手を振って近づいてきます。正直言って、恥ずかしい。でも、心配してくれているのがよくわかります。体調が良くないことが多く、きっと顔色が悪いんでしょうね。
「おばちゃん、声掛けてくれて、ありがとう!」
そんな具合に、次々とみんなの顔を思い浮かべて、「ありがとう」を言いました。そんなことでもしないと、ついつい感謝の気持ちを置き去りにしてしまうから。