もう30年数年も前の話です。いっとき、集中して自己啓発の本を読んだり、セミナーを受講した時期がありました。
その中の著者のお一人と、講演者のお一人が、はからずも同じことを説いておられることが心に響き、素直に実践しました。それは、「ありがとう」を言うことです。それも、一日100回、200回と尋常ではない回数を口にするというものです。
「『ありがとう』は、奇跡を起こす」
とか、
「『ありがとう』で願いがかなう」
と言うのです。そんな簡単なことで願いがかなうなら、もうやるしかない。その上、無料。とにかく、暇があると「ありがとう」「ありがとう」と言いまくっていました。
ある日、そんな私を見ていて、母親が言いました。
「あんた間違ってるよ」
「え?」
「『ありがとう』って言いうのはいいわ。でも、問題は数じゃないの。どれだけ感謝するかって気持ちなのよ」
私は、なにやら雷に打たれたかのようにドキッとしました。母は苦労人です。その苦労を文字にすれば、何冊も本が書けてしまうほど。その母の言葉ゆえに重みがあり、私はなんだか恥ずかしくにって、「ありがとう」と、たくさん言うのを止めてしまいました。
時が流れました。私も、母にはとうていかないませんが、人並の苦労を重ねてきました。当時読んだ本の著者や講演者の「伝えようとすること」は、理解できるようになっていました。
「ありがとうを一日100回言おう」
と言うのは、そこにちゃんと目的があるのだということも、いつしかわかるようになっていました。「感謝する」ことを、毎日の生活で「当たり前」「ふつう」にして、知らず知らず身に付ける訓練なのです。
一時的にではありますが、「ありがとう」を唱えていたおかげで、たしかに、ピンチの時、辛い時にも「感謝する」ことが日常になっていました。
さて、またまた時が流れました。50歳を超えていたある日のことです。本屋さんで本を買ったら、そこにはさんであった一枚の「しおり」に目が留まりました。そこには、遥か昔、母が言っていたことと、同じことが綴られていました。
「たいせつなのは、
どれだけ
たくさんのことを
したかではなく、
どれだけ
心をこめたかです」
マザー・テレザ
それからです。私は、大きな講演会でスピーチすることに疑問を抱くようになりました。300人、500人の会場で拍手をいただけば、「ああ、気持ちが伝わったんだ」と嬉しくなる。
でも、本当にそうなんだろうか。聴いて下った人たちは、その日から人生が変わるだろうか。変わるように努力されるだろうか。そう思うと、ごくごく少人数の集いで、膝を突き合わせて、とことん質問を受けながらスピーチする方がいいのではないか。
相手の人生が、好転するような活動をしたい。その場限りではなく、ずっとフォローできるようなお付き合いができたなら。少しずつ、講演活動を「数」よりも「中身」へとシフトしていったのでした。
今、思います。母は偉大だったなぁ、と。もう母は亡くなっていたので、伝えることはできませが・・・。