名古屋市の会社に勤める、Hさんから若かりし頃の思い出の「ちょっといい話」が届きました。
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38歳の年に結婚した。披露宴には当時の勤務先の上司はもちろん、新卒から4年間だけお世話になった会社の上司2名にお越しいただいた。同社での最後の上司Yさんには乾杯の音頭もお願いした。
私が新卒で入社した会社は希望の会社で、最初の配属も希望の部署。一般に人気のない部署ではあったが自分では非常に満足して働いていた。
ところが何事も順風満帆とはいかず、3年目の途中に社内事情で部署自体が大縮小。若手の大部分は希望も聞かれず叩き売り状態で別の部署に異動することになった。しかも私の行き先は入社時のアンケートに3つだけ記入できる”できれば行きたくない部署”の1番目。要するに1番行きたくない部署だった。
茫然自失で異動した先の課長がYさん。東京新橋育ちの江戸っ子で、大学時代は体育会ラグビー部、お酒が大好きで涙もろいという絵にかいたような熱血サラリーマンだった。嫌々行った部署ではあったが、Yさんを含む先輩方の熱気に押されて仕事しているうちに、面白みも感じるようになった。期間の割に成果もあがったので、今思うと会社は良く適性を見ていると思う。
とはいえ、配属の希望にも若造なりの考えがあってのこと。”行きたくない部署”ではどう転んでもキャリアプランが達成できないので、異動から約1年後に退職を申し出た。確か日曜の夜にYさんの自宅へ電話した。「明日、詳しい話を聞かせてくれ」といって電話が切れた翌朝、「眠れなかったじゃねーか。コノヤロー。」とYさんが出社してきたのを覚えている。
委細は割愛するが、最終的には「仕方ねぇ。会社にも問題あるし胸張って出ていけ。絶対成功しろ。あと、辞めるまでは時間がある限り飲みに行くから、そのつもりでいろ」という話になった。
翌日から、本当にほぼ毎日飲みに連れて行っていただいた。毎日二日酔いでカナリ記憶が曖昧だが、いよいよサシ飲みは最後という日に、Yさんのご自宅近くの寿司屋で「お前がどんな人と結婚して、どんな家庭を持つのか見たかったわ」と言われた。「披露宴は招待しますから」と答えて、冒頭の話に戻る。
かなり時間が経って12年後、中国の関連会社へ出向して董事長を務めているYさんに連絡した。「ようやく結婚することになりまして・・・」と。さすがに中国から東京ではない某都市での披露宴にお越しいただくのは厳しいかと思ったが、言い終わらないうちに「お前も相変わらずだねぇ。覚えてやがったか。行くよ」との返事。
当日、乾杯の音頭に伴う挨拶で、Yさんが懐からある物を取り出した。見覚えがある。私が部署の皆さんにプレゼントした実家の家業の商品だ。曰く、「コノヤロー(=私)が披露宴に呼ぶって言うんでね、その日が来たら持ってこようとは思ってたんです。しかし、10年以上使っても全く壊れませんね。いい仕事です」と。
聞けばYさん、前日に胆嚢摘出で開腹手術を受けたとのこと。無茶はほどほどにしていただく必要があるのですが、”約束”の重さを再確認する披露宴になりました。