「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動をスタートさせた頃、ある大企業の経営者にこんなことを言われました。
「素晴らしい活動ですね。でも、モラルの低下はすごいスピードで進んでいます。『プチ』なんて言っていたら間に合いませんよ」
がっくりです。その話を別の経営者にすると、まったく違う意見を言われました。
「それはたぶん正しいのでしょうね。でも、だから『やらない』のではなく、それでも『やる』ことが大切なのだと思います」
また、ある人には、
「一気に運動を広めようと考えず、小さくてもいいからコツコツ続けましょうよ。いっぺんに大きくなると、いっぺんに萎むもんですから」
運動を始めたばかりの私は、この言葉に今日までどれほど支えられたかわかりません。しかし、それでも、自信がありませんでした。「プチ」な活動に意味があるのだろうか。そう思うと、焦るばかりでした。
そんな時、2005年に愛知県で開催された「愛・地球博」の関係者と話す機会がありました。そこで話題となったのが、開幕当初のトラブルの話です。それは・・・。
当初、万博ではお弁当の持ち込みが禁止されていました。博覧会協会の説明によれば、食中毒の恐れがあるので、入場者の健康上の管理のためという理由からでした。
また、お弁当の中に、毒物などを入れて入場する可能性もあり、テロ対策という面もあるとのこと。いまから思い返すと、笑ってしまいそうな理由です。
本音は、別のところにあることは明白でした。会場内に出店した飲食店の売上が減ってしまうからに違いありません。これには大ブーイングが起きました。しかし、どんなにクレームがあっても、博覧会協会の対応は変わりませんでした。
入場ゲートでは、そのことを知らないでやってきた人たちのお弁当が、没収されてゴミ箱に捨てられました。「愛・地球博」のテーマは「自然の叡智」です。エコロジーとは逆行した対応に、新聞の社説はこぞって対応改善を求めました。
それにもかかわらず、博覧会協会は「ノー!」と繰り返しました。
そこへ、鶴の一声。
当時の小泉首相が、
「お母さんの作ってくれたお弁当はいいねぇ」
と発言したのです。それからの対応の早かったこと。翌日には、お弁当の持ち込みが解禁になりました。
その時、思いました。
「やっぱり、総理大臣くらいにならないと、世の中は変えられないのかなぁ」
なんだか悲しくしくなってしまいました。
この話をある新聞社のデスクに話すと、こう言われました。
「それは違うよ、志賀内さん。国民が揃って抗議したため、パフォーマンスの上手い小泉さんが『今だ!』と動いただけです。小泉さんの人気取りとか、いい所取りとか言われたけれど、そんなのは結果に過ぎない。利用したに過ぎない。本当に動かしたのは国民なのです」
まさしく、まさしく!
一人ひとりの力は小さいのです。しかし、それが集まれば、世の中も変えられるはず。けっして、小さなことをバカにしないこと。
小さな行いでも、大勢の人がコツコツと続けたら、きっと世の中も変えられるはず。万博での騒ぎから、「小さな力」の大切さを確信しました。その思いは、今も変わりません。