コロナ禍も2年以上が経ち、正直、「いつトンネルを出られるんだろう」という悶々とした気分です。
「小説家は仕事に影響ないですよね。パソコンがあればできるでしょうか」
何度かそう言われましたが、そう簡単なものではありません。まず、取材に行けません。
「京都祇園もも吉庵のあまから帖」シリーズ(PHP研究所)を書いているので、京都へ足繁く通わなければならないのです。また「書く」というのは最終的な作業です。
「書く」に至るまでに「構想」段階がものすごく長い。私の場合は家にいても、アイデアが湧いてきません。馴染みのカフェで腰を据えて妄想するのです。行きつけのカフェが休業になった時には愕然としました。
さらに、頻繁に人と会うことで、ネタを拾ったり、構想のヒントをもらったりします。それは、「目的」を持って人と会うわけではありません。様々な勉強会やパーティに参加する際に、「雑談」から生まれるものなのです。
それはかなりリモートでは困難です。振り返ると、小説を書くにもコロナ禍の影響を受けているのです。
つい先日、親しい社交ダンスの先生と会いました。人気講師で、いくつものカルチャーセンターを掛け持ちで教えておられました。しかし、このコロナ禍でほとんどの講座が閉鎖に追い込まれてしまったそうです。
「どこか私が働けるところはないかしら」
と真顔で尋ねられてしまいました。友人から、「力を貸してあげて欲しい」と電話がありました。
「友人から花を買ってもらえませんか?」
その友人は、福岡県で花卉農家を営んでいるとのこと。主に、ガーベラを栽培しています。年度末から新年度のパーティ、ゴールデンウイークに続いてジューンブライドと、ほとんどのイベントが中止・延期になってしまった。
でも、花はコロナとは何の関係もなく成長を続けて花を咲かせます。このままだと、温室のすべての花を廃棄処分しなくてはならないというのです。
そうなのです。普段はあまり人の仕事のことをそれほど考えたりはしません。
飲食店や旅行業がコロナ禍で大きな影響を受けていることは知っているし、すぐに想像がつきます。でも、「まさか」の業界で辛い思いをされている人がいる。
当事者に話を聞いて、初めてそのことに気付いたのです。
さて、毎日新聞の中部版に「虹を待つ午後」というコラムを連載しています。病気や介護から得た「気づき」や「学び」をテーマに書いています。
その中で、こんな話を紹介したことがあります。
* * * *
二十五、六歳の頃の話だ。とにかく、彼女がほしかった。でも、モテない。四苦八苦してなんとかデートに漕ぎつける。しかし、二度目が訪れたためしがなかった。
そんな中、大学時代の悪友M君から、結婚式の招待状が届いた。うらやましくて仕方がない。こちらは、彼女さえもできないのだから。
さて、披露宴も宴たけなわとなり、M君がマイクを手にして参列者にお礼をする段となった。型通りの感謝の挨拶の後、M君が口にしたことに私は言葉を失った。
「こんな夫婦になろう、と二人で話し合って来ました。もし、私が風邪気味で体調が優れない時、『お前は体調どう?』と尋ねられるようにすることです。お互いが、自分が辛い時にこそ、相手のことを思いやれる夫婦になろう、って」
愕然とした。私は、自分がモテない理由がはっきりした。ただ一方通行の恋をしていたに過ぎないのだと。「これはダメなはずだ」と納得してしまった。(一部抜粋)
* * * *
M君は、実に「思いやり」の深い奴です。それは、奥さんに対してだけでなく、周りの人に対しても。自分が辛い時、なかなか他人のことにかまってはいられません。それは仕方のないことですし、責められることでもありません。
このコロナ禍、世界中で辛い思いをされている人がいます。でも、悪いことばかりではないはず。
「ときどき」と数は少ないですが、「助け合い」「支え合い」のニュースが目に留まります。辛い時こそ、人をおもいやるチャンスなのかもしれません。