ちょっといい話『「花は咲けども噺せども」に元気をもらう』志賀内泰弘

噺家の立川談慶さんの経歴は、実にユニークです。

慶応大学経済学部卒。
ワコールへ就職。
その後、立川流に入門します。
その時の前座名が「立川ワコール」。

あはは。
明石家さんまさん並みの、安直な名前の付け方ですね。

そこからが長かった。たいていは前座を3から5年務めると「二ツ目」に昇進します。

前座は、楽屋で師匠たちにお茶を出したり着物の手伝いをしたり。また、太鼓を叩いたりと寄席の裏方の仕事をします。なんと、談慶さんは前座を9年半も務めました。

ちょっと珍しい苦労人なのです。

二ツ目に昇進すると、それらの仕事から解放され、高座で紋付と羽織りを着ることが認められます。しかし、この二ツ目はまたまたたいへん。何がって、なかなか食べていけないのです。

2005年に真打昇進。

慶応出身だからと、談志師匠から談慶を命名されます(あはは、これもストレート)。

今や全国各地の高座で笑いの渦を巻き起こす談慶さんですが、長~い「二ツ目」時代の体験を元に、このたび人情小説を書かれました。

「花は咲けども噺せども」(PHP文藝文庫)です。

読み進めると、いったいどこからどこまでが実話で、どこからがフィクションかわからない。それがまた「面白さ」を高めます。

さて、この小説の中にこんな話が出て来ます。
主人公は「二ツ目」の噺家・山水亭錦之助です。

立川談志の落語に惚れて、噺家になると決めたものの談志は既に、あの世に逝っていませんでした。

そこで、生まれて初めて「生」の高座を聴いた山水錦生の元に弟子入りします。錦生は、もっとも談志イズムを継承していると言われる噺家でした。

錦之助は前座を終えて、「二ツ目」に昇進し「売れる」ために日夜勉強に励んでいました。「こんな仕事」と思っても、耐えて耐えて笑って笑って引き受けます。

そんなある日、錦之助は知り合いの小湊というディレクターからテレビの仕事を紹介されます。ついつい、

「大手の事務所に入っていないので、メジャーのテレビ局からはお声がかからないっすよね」

と零していたのを覚えていて、好意からチャンスに導いてくれたのでした。とはいっても、オーディションを通らなければ採用されません。

さて、いよいよオーディションの当日。

テレビ局に着いて、着物の裾を直そうとしてトイレの個室に入ったところ、小便に来た二人連れの声が聞こえてしまいました。

「・・・その立川ナントカを売り出そうとして、こんなオーディションやってるんだろ」
「いいよなあ、会長の娘婿か」

錦之助は愕然とします。そう、番組のレギュラーの椅子を競うオーディションは、実は出来レースだったのです。錦之助は、くさってディレクターの小湊さんにぼやきました。

すると、同情しつつもこんな返事。

「お互いそんな世界を乗り越えていきましょうよ。コネとか情実があるからと言って、世の中そんなもんだよって言っちゃえば、すべておしまいじゃないですか・・・・」

錦之助は、ここでハッとして師匠である立川談志の言葉を思い出します。

「嫉妬とは、己が努力、行動を起こさずに対象となる人間をあげつらって、己と同じ地位にまで引き下げる行為を言う」

これ以上、書いてしまうとネタバレになってしまうので控えさせていただきます(続きは本編をぜひ!)。

でも、さすが談志さん。

名言です。

人間の深い深い心の闇を、どうしたらパワーに変えられるかまで伝授しておられるとは参りました。

私も、人生を振り返ってみると、醜い嫉妬との連続でした。いや、今も同じです。

「なぜ、こんな作品が賞を獲れて、オレのは・・・」
「なぜ、この書店はオレよりも○○の作品をたくさん並べているんだ」

あ~嫌だ、嫌だ。
自己嫌悪に陥ります。
そんな嫉妬をしている暇があったなら、とにかく努力。
コツコツ前へ前へと進むこと。
それしかないのです。

「花は咲けども噺せども」の帯には、こんなコピーが書かれています。

「花は咲いて、晴れて前座を卒業し、落語家の一員としては認められたとは言いつつも、まだ真打ちのような実にまでは成長していない—花は咲けども噺せども」

談慶さんの小説から、改めて、

「気張らんとあかん」

と元気をもらいました。

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