ちょっといい話『第10回言の葉大賞入選作から~限られた時間の中で人を思う』志賀内泰弘

一般社団法人「言の葉協会」では、全国の小・中学校、高等学校から毎年のテーマに合わせた大切な人への思いや強く感じた気持ちを自分の言葉で綴る作品を募集し、その優秀作品を「言の葉大賞」として顕彰しています。第10回の募集テーマは、「『失敗から』学んだこと」。その入選作品から紹介させていただきます。

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「限られた時間の中で人を思う」

静岡県 河本 澄子

九年前父が寝たきりになった。日に日に痩せていく父を毎日往復四時間かけて病院に通った母。

話もできなくなった父と、母は何を語り合ったのだろうか。身体をさすり、服を着替えさせながら、若かりし頃の楽しい思い出を話したのだろう。

ある日、母が「覚悟しておきなさい」と遠慮がちに話した。私は聞かないふりをしていた。「覚悟」というものが理解できなかった。父のことで心の準備をさせたかった母の思いに背中で応えた。

父が亡くなり、斎場で火入れのボタンを押さねばならなかった時、母の指が震えていた。母の悲しみに触れた瞬間だった。

でも、気づけなかった。細い母がますます細くなっていたことに。気丈に「大丈夫だから。」と言う気持ちの、本当のところを見ようとしていなかったのだ。

一人暮らしになった母に電話をかける機会は多少増えたが、母の暮らしぶりや気持ちを想像しようとしなかった。職場で苦しいことがあると電話しては何気ない世間話をした。

電話の向こうで母は「何かあったのか。」とは聞かず「こっちは元気でやってるよ。秋になったね。ぼちぼち片付けしているよ。」と話すだけ。母は、不安な気持ちや心細さを娘に話すことはなかった。

父が亡くなって三ヶ月後、突然母が父のところに逝ってしまった。心に穴が空いた。死というものが初めて見えたのだ。消しても消しても消えない事実。母は父と生きた。そして、一緒に今も過ごしているのだと思う。

人を気遣って自分の気持ちを言葉にしなかった母の思いを感じようとしなかった自分を責めた。母の生活ぶりを知ろうとしなかった。母はずっとずっと私の側に居てくれると思っていた。

でも、違う。時間は限られている。だから、「今」が大事なのだ。今、側に居る人の気持ちを感じなくてはならないのだと心底思う。

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