親孝行にまつわるいい話 『オレはええけど、アイツがなぁ…』

『オレはええけど、アイツがなぁ…』

ペンネーム:時任海澄(兵庫県神戸市)さん

一四年前、父が肺癌になりました。阪神大震災で全壊した実家を再建して間もなくのことでした。既に肺から頭に転移しており、余命半年程度でした。事実を受け入れることなど到底できず、母と声をあげて泣きじゃくりました。両親は仲が良く、父が定年退職してからは二人でよく旅行に出かけていました。
震災のゴタゴタの時も、自分に言い聞かせるように、
「お父ちゃんが九州に行ったことがないから、次は九州に行くねん」
と母は言い、励みにしていたように思います。こんなに仲の良い二人だから、 「どちらかに、もしものことがあれば、告知しあう」と約束していたそうです。
しかし、医師に癌と言われると、母は悩みました。
「やっぱり、約束したから言うわ」
と、ようやく腹を決めた母に私は猛反対しました。父の性格を考えると、余命を知らない方が、生きる望みを持ちそうな気がしたからです。
入院当初は、転移した位置が悪く、人の名前がわからず、文字すら書けなくなっていた父も、抗癌剤治療のおかげで、一時退院できるまでに回復しました。父は、母のつくる食事を何でも美味しそうに食べ、居間に座り、
「やっぱり家はええなぁ」
と、満面の笑みで何度も繰り返していました。母と私は、祈るような気持ちで言いました。
「このまま治ったらいいのに…」
しかし、治るはずはなく、約一ヶ月後に再入院が待っており、母も私も打ちのめされた気分になりました。私は仕事の忙しさにかこつけましたが、日に日に弱っていく父のそばで、母は耐え難い思いをしたでしょう。
そんなある日、父がふと私に呟きました。
「オレはどうなるんやろう? 
オレはええけど、アイツ(母のこと)がなぁ…」
父は、自分の病気も余命も知っていたのです。
母に約束を破らせた私は、
「何言うてるん。お母ちゃんと一緒に、次は九州に行くんやろ!」
と、答えるのが精一杯でした。
母の話では、父方の祖父は、時として豪快に遊ぶ人で、家族が苦労することもあったそうです。そのためか、父は外で飲むのは付き合い程度で、家族を大切にし、自分のやりたいことは最低限に抑えて、兄にも私にも好きなことをさせてくれました。決して裕福ではありませんでしたが、温かい家庭をつくってくれたと感謝しています。
最期まで家族のことを思いやり、母のことを気遣った優しい父。臨終の際に、私は叫びました。
「お父ちゃんの娘に生まれて良かった!」
現在、父は、実家から徒歩一〇分程度の墓地に眠っています。生前と同じように、私たちを温かく見守りながら…。

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