【お名前】飯森さん
【性別】女性
【年齢】55
【住所(受賞者には賞品を進呈させていただきます)】
長野県 東筑摩郡
【「親孝行大賞」のタイトル】
「80年の願いを叶えて」
【「親孝行大賞」の本文】
母には80年間胸に秘めてきた願いがあった。それは、出雲大社に行くこと。私がこの願いを知ったのは、母が急性胆のう炎で入退院を繰り返しているときだった。
気落ちしている母を励ますため、「退院したら旅行しようよ。どこがいい」と聞いてみた。すると出雲大社に行きたい、と言い出したのだ。「ずいぶん前のことになるんだがなぁ」と前置きして、理由を話してくれた。
母は子どもの頃、偶然写真で見た出雲大社の荘厳な姿に目を奪われたそうだ。大黒様とも呼ばれる大国主命が祭神であることも知った。学芸会で同級生のサトちゃんが、きれいな声で「大黒様」を独唱した。聞いていたら出雲大社の写真を思い出し、大人になったら絶対行こうと決心した。けれど未だに行ったことがない、と。
10代後半から結婚するまでの母のことを私はよく知らない。聞いても話したがらなかった。昭和35年、39歳のとき、後妻として父のもとへ嫁いで来た。私が7歳の時に父が事故で死んだ。それからは、女手一つで懸命に私を育ててくれた。のんびりできるようになった70代半ばに、脳梗塞で左半身まひになった。その後追い打ちをかけるように、急性胆のう炎で入退院を繰り返した。
母が健康なときに出雲大社の話をしてくれていたら、と残念でならなかった。けれど母は日々の生活に追われ、思いを馳せる余裕などなかったに違いない。入院し、ベッドでいろいろなことに思いを巡らすうち、ふと心に浮かび上がったことなのだろうと思った。
平成22年初夏、母の願いを叶えるため、私たちは島根県を目指した。出雲大社に着き、はやる気持ちを抑えながら、正門の大鳥居に行った。母は黙ったまま鳥居を見上げ、太い柱にそっと右手を当てた。目は潤んでいた。
これまでの出来事が頭の中を駆け巡っていたのかもしれない。「大きな袋を肩にかけ」と歌う、サトちゃんの声が甦っていたのかもしれない。私は声をかけられずに、じっと背中を見つめていた。遠くて不安だったけれど、来て良かった。やっと恩返しができた、と私の胸も熱くなった。
境内をゆっくり散策した。樹齢数百年の松並木に息を飲んだ。「記念に松ぼっくりを拾っていこう」。母が言い出し、形の良いものをいくつか集めた。大国主命の巨大な像と対面した母は、静かに語り始めた。
「初めまして。はるばる信州からやって参りました。長年の悲願だったあなた様に、ようやくお目にかかることができました」
神妙な顔で頭を下げる母の姿が滑稽で吹き出してしまった。
残念なことに大遷宮の最中で、本殿は工事のため覆いがかけられ、見ることができなかった。それでも「森厳とした雰囲気を肌で感じられて良かった」と言ってくれた。
母は旅行の4年後、93歳で他界した。出雲大社の大鳥居でほほ笑む母の写真と、あのとき拾った松ぼっくりが私の宝物だ。