親孝行大賞受賞作品 ★スマイル賞★ 『母の耳』

【ペンネーム】泣き虫太郎さん
【性別】男性
【年齢】66
【住所】岐阜県 岐阜市

【「親孝行大賞」のタイトル】
「母の耳」

【「親孝行大賞」の本文】
母の病室にやってきて、日がな一日語りかけながら、わたしはベッドに横たわる母の脚をさすった。踵から膝まで、赤紫にうっ血して腫れあがり、医師が告げる九十歳近い静脈のもろさ。

わたしに合槌を打つでもなく、たしなめるでもなく、朽ちた木彫りのように、からだが動かぬ母。その腹を膨らませ、はらわたをねじり、血ぐるみひきずり去ろうとする、見えない力に耐えしのぶ母。わたしは、ただ黙り母を見つめるしかない、自分の無力さをつくづく悔やむ。

母の意識は白々とほとび、もはやただよいはじめ、ときどき見開く眼の行方を知るすべはないが、白く固まった目脂の眼窩の奥から、一滴一滴と涙が零れおちる。丁寧でそれをわたしはガーゼで拭くのだが、そこから発する匂いに、母を抱きつめたい衝動にかられる。

かつて、わたしが母に抱かれた、あのぬくもりが安心があった。今度は、母が私に抱かれる時の経過ではないか。背も胸の骨がわたしに突き刺さりそうだ。涙を抑えるのに必死だった。少年の日のように、素直に泣きたかった。

母の顔に、わたしはなおも話しつづけることで、孝行息子を演じる自分に羞恥心がおぼえた。これで母の心に安らぎを与えられるのか、ほかに母が歓ぶことはできないのか。明日も来るよと、さて帰ろうとするうしろから、かすかな声が迫ってきた。

「またおいで、なんでも聞いてあげるからね」。一瞬うしろ手にドアを閉じ、恥じて立つわたしの行く手に、耳だけになった母がじっと佇んでいる、そんな幻想にわたしは襲われた。だが、冷静になれば、母はベッドから動きもせず、軽くいびきをかきながら眠っている。

少年のころから、母はわたしの話をただ頷いて聞くのが一番幸せだと言ったことを思い出した。母に多く話をしよう。それが一時の親孝行だとわたしは錯覚してもいいと思った。母の耳が嬉しそうに笑っているように見えた。

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