ちょっといい話『まやかしの秒数』志賀内泰弘

このところ、コロナ禍について考えていることがあります。どうしたら感染しないか。ワクチンを打つべきか否か。・・・ということではありません。

コロナのせいで、本当に嫌な思いをして生活しています。でも、「コロナのおかげ」だと言えることはないのだろうかと。もっとも、「おかげ」だと思って、無理矢理にでも心を前向きにしようしているだけなのですが。

そんな中、裏千家家元・千宗室さんの書かれた「京都の路地まわり道」(ウエッジ)を読んでいて、こんなお話に目が留まりました。

1日は24時間。誰にも与えられた時間は決まっている。ところが、10年くらい前から、「感覚として」の時間がなぜか短くなってきたというのです。
それは錯覚なのか。
「世の中の動きにおいていかれるのではないか」
と、不安になってくる。すると、生き方が小走りになり、身の処し方が忙しくなる。

例えば、宴会の席で、料理が始まったとたんに、徳利を持って上座にお酌をしに回る若い人がいる。それは、マナーとして、どうなのだろうかと。確かに気を遣ってはいる。上座は人生の先輩であることが多いし、挨拶に行くのは当然のこと。それが敬意でもある。

だが、本当に客のことを慮るなら、煮物の椀を温かく美味しい状態で召し上がっていただくまでは、酌をするのは遠慮すべきではないか。相手を急かすことになるからだ。煮物の椀が済むまで、その何十分を惜しまねばならぬほど、人生は慌ただしいものではないと、宗室さんはおっしゃるのです。

サラリーマン時代のことを思い出しました。接待の席で、乾杯の後、早々にお客様にお酌をしに行くと、すぐに話は盛り上がるかもしれないけれど、せっかくの料理が楽しんでいただけないのです。これは、自分が講演という仕事をするようになって、よくわかりました。

泊りがけで講演に出掛けると、しばしば夜の席のご接待を受けることがあります。主催の企業の幹部や営業の方々がズラリと参加。次々と名刺交換。気が付くと2時間も経っている。結局、ほとんど箸を付けられずに、そのままホテルに戻って帰りがけに買ったコンビニのおにぎりと味噌汁を食べることもありました。
「ああ~サラリーマンの時、きっと、接待される人は同じ思いだったんだろうなあ」
などと、反省しました。
(とはいうものの、すぐにお酌に行かないと課長に叱られたので仕方がなかったのですが)

さて、このコロナ禍です。大勢での会食はもちろん、友人とランチや夕食を共にすることが、めっきり減りました。カミさんを亡くしたこともありますが、食事はたいてい一人です。

でも、この1年を振り返ってみると、実に1人での食事の時間を大切にしてきたことに気付きました。非常事態宣言が出ていた間には、「うつ」防止も兼ねて、自分でお弁当を作って公園のベンチでランチしていました。
風の音。
鳥の声。
雲の流れを愛でて楽しみながら。

宗室さんは、こう述べておられます。
「若さとは、何事につけても経験不足を意味する。知識は持っていても、それを充分身に付ける場数が足りていない。故にまやかしの時計に振り回されるのだ。心を宥め、己の立つ場を眺めてほしい。一息吐くことできっと体内時計は正常に戻る」

人間は、自然の一部です。どんなに文明が発展しても、しょせん大自然の中ではちっぽけな存在です。元々、時間は、宇宙の一部である地球の動きに基づいて決められたもののはず。けっして、人間が管理しているものではありません。

ウイルスは怖いです。不安になります。でも、その「おかげ」で、ひょっとしたら、体内時計を少しは正常に戻せたかもしれません。ちょっと、立ち止まった「おかげ」です。・・・でも、でも、コロナは嫌ですが。

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