ちょっといい話『人間はコップみたいなもの』志賀内泰弘

コロナ禍は、本当になんとかしてほしい。マスクなんて大嫌いだし、一日に何度もしつこく手洗いをしていると、神経質になり過ぎて、それだけで心が疲弊してきます。人と会うことが大好きだから、大人数の勉強会を開催できないことは悔しくてたまりません。旅行に行きたいところがいっぱいありますが、かなり自粛しています。

でも、この騒動が始まって1年近く続き、ふと気づくことがあります。志賀内は、会社を辞めてもう15年も経ちました。会社を辞めた時、
「ああ~自由だ。誰にも縛られることがない。好きなことに使っていいんだ」
と、バンザイしました。

でも、人生、そうは簡単に行きません。両親、そして、カミさんの看病介護の期間は延べ8年ほどありました。もちろん、好むと好まざるにかかわらず、それが最優先です。「好きなことしかしない」と自分に言い聞かせはしたものの、世の中には義理人情というものがあります。

つまり、断りにくい仕事があるのです。気の進まないイベントのお手伝い。波長の合わない会でのスピーチ。次々と止むことのない相談事。そして、これは好きでやっているのにもかかわらず、けっこう辛い「追われる原稿の締め切りとダメ出し」。

それが、このコロナ禍で、シーンとするほど落ち着いたのです。特には、第一波、第二波の自粛期間、主にこの5つをやっていました。
散歩
妄想
読書
友人に用事がないのに電話
締め切りがずっと先の原稿を書く

一言で言うと、ほぼボーとしているに近い。あえて言うなら、お金にも世間の為にもならない非生産的なことをやって過ごしました。でも、よくよく考えると、それは大きな収穫でした。宗教的、哲学的な表現をするなら、「内観」ができたのです。

自分を見つめ、これからどう生きて行ったらいいか、いや、今日一日をどう生きたらいいかを考えられたのです。

そんな時、大ファンである直木賞作家の朱川湊人さんの「幸せのプチ」(文春文庫)の中に収められている短編小説「オリオン座の怪人」の中に、こんなセリフに目が留まりました。

「人間なんてコップみたいなものだよ」

主人公の朔君が、成人した時に塾の先生から贈られた言葉です。先生は、こう説明します。

「コップは、それだけだと、ただのコップだろう? もちろん芸術作品や装飾品として作られたものなら、コップそのものにも価値があるかも知れないけれど、普通は、まあ、コップはコップに過ぎないものさ。大切なのは、中に何を入れるかってことだ。自分のコップの形が悪いだの、どこか欠けているなんて、気にすることはないんだ」

とはいうものの、人はどうしても外見に囚われてしまいます。二枚目か美人か。どんな服や髪型をしているか。車や家やアクセサリー。いや、外見だけではありません。地位や名誉、そして何よりお金。人から見られた時、パッと判断されやすいものに囚われる。だから、毎日、毎日、「それ」を手に入れるために、目の前の仕事に精一杯になってしまう。つまり、忙しく走り続けてばかり。

私も、しかり。「自由」を求めて、会社を辞めたにもかかわらず、ただ「走っていた」自分に気付いたのです。

コップの中に、何を入れるか。どのくらい入れるのか。どうやって入れるのか。

コロナ禍の「おかげで」、否応なく「立ち止まる」ことができ、コップの中身はどうなんだ!と「内観」することができたのでした。

さて、自分というコップに、いま、何がどれくらい入っているのだろう?そんなこと考えるこの頃です。みんなさんのコップは、いかがでしょうか。

最新情報をチェックしよう!
>プチ紳士・プチ淑女を探せ!運動とは?

プチ紳士・プチ淑女を探せ!運動とは?

ゆっくりでいい。一歩ずつでいい。
自分のできる範囲でいいから、
周りのことを思いやる世の中を作ろう

CTR IMG