ちょっといい話『情けない己の心に「喝!」』志賀内泰弘

「なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?」(ダイヤモンド社)という本を書いたせいか、その読者から言われることがあります。「若い頃から、そうじが得意だったのですか」と。トンデモナイ。好き、どころか大の苦手。今でも、できることなら、したくないです。

でも、自分に課していることがあります。外出先で、路上に空き缶を見つけたら拾うことです。
「しなくない」のに、なぜ拾うのか。
それは、今までの体験から、「拾うと」と、間違いなく「いいことがある」と知っているからです。
(その論理的根拠を知りたい方は、拙著をお読みください)
情けない話ではありますが、「世の中をキレイにしよう」とか「みんなが気持ち良い社会にするため」などいう志からではないのです。つまり、自分のためですね。

にもかかわらず、いつも拾えるとは限りません。これまた情けない話ですが、
(1)雨降りで、傘を差している時、
(2)両手に荷物を持っている時、
(3)約束の時間にギリギリで急いでいる時、
(4)ここで拾ってしまうと、自宅まで持ち帰らざるをえない時、
(5)体調が悪くて、屈むのもおっくうな時、
などには、「見て見ぬフリ」をして通り過ぎます。

10メートルくらい歩いてから、「いかんいかん」「あ~」とブツブツぼやいて、引き返す。そして、結局拾うわけですが、それくらいなら最初から拾えばスッキリして気分がいいはずなのに。要するに、まだまだ修行の途中ということです。

さて、京都・建仁寺を拝観した際に、掲示に目が留まりました。臨済宗の開祖・臨済義玄が「禅の神髄」を端的にしめしたという「喝」についてです。

   *   *   *   *

「喝」は、物事の意味を示さないが、四つの働きがある。
一、煩悩、妄想の迷いを断ち切る喝。
一、目覚めよ。と、ふるいたたす喝。
一、かかってこい。と、本気にさせる喝。
一、平常心是喝。と大きな喝。

   *   *   *   *

臨済禅師といえば、「喝」と言われるほど、盛んに「喝」を唱えておられたそうです。

「これだ!」
と思いました。
拾おう・・・でもなあ~・・・雨に濡れてるだけじゃなくて、残ったジュースが零れてベタベタしてるしなあ・・・手が汚れるなあ・・・など、心の迷いがある時、
「これは使える!」
と。
「喝!」
そう唱えたら、パッと身体が動きます。

うんうん、それだけじゃない。日常生活のあらゆる場面で「喝」は、迷える心、萎えた心を元気付けるのに使えます。まあ、「喝」って言わないと、何もできない自分であること自体、情けないわけではありますが・・・。とほほほ。

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