『最終的には自分なんですよ』|ちょっといい話 志賀内泰弘

矢沢永吉(あえて「さん」は付けません)が、NHKの「SОNGS」に出演した時、二十代の若者たちから質問を受け付けるコーナーがありました。一人の女性が、こう質問しました。

「本当にやりたいこともなくて、もうどうしたらいいんでしょうか。わかんなくて」

なんとも漠然とした悩みです。
でも、ひょっとすると、これが若い人たちの、いや、年齢に関係なくほとんどの人の気持ちを代表する言葉のではないかと思いました。
「夢を持て」
と言う大人がいます。でも、その夢を潰そうとするのも大人です。

私自身のことで恐縮ですが、幼い頃、しょっちゅう、将来なりたいものが次々と出てきました。
コックさん、小説家、考古学者・・・。
でも、「〇〇になりたい」というたびに、親に反対されました。いや、反対というのとは少し違う。
「コックさんなんて修行がたいへんだよ」
「考古学なんて、食べていけないわよ」
「小説家だなんて、太宰とか自殺してるでしょ」
子供ですから、
「ああ、そうなんだ」
と受け止めます。そして、無意識に「夢をかなえるのは難しいものなんだ」「夢は見るだけのものなんだ」と思い込んでいました。

社会人になると、今度は、「夢」うんぬんなどと、浮かれたことを言っている暇はなくなります。

会社員になれば、目の前のノルマや締切りなどの課題をこなすので精一杯。そりゃあ、ベンチャー企業でも起こして大金持ちになれたらいいけれど、自分にはそんな才能もないし・・・などと、子供の頃に描いていた「夢」のことなんて忘れてしまいます。

会社員だった頃、毎晩のように居酒屋で、愚痴の言い合いでした。たいていが、上司の悪口。次が不景気の話で政治や行政の批判です。

作家になり講演を引き受けるようになってから、多くの人たちから人生の悩み事の相談を受けるようになりました。できるだけ親身になってアドバイスをするのですが、そこから「できない言い訳」が始まります。 

「生まれた家が貧乏だから」
「父親がいないから」
「勤め先がブラックまがいの企業だから」
「頭が悪いから」
「コミュ症だから」
「不景気だから」
「コロナ禍だから」

そうなのです。それらは、「できないこと」「やらないこと」の免罪符なのです。

それを私は非難できませんでした。なぜなら、サラリーマンだった頃、同じように「言い訳」を探して生きていたからです。

さて、矢沢はこう答えました。

「国とか世間とか周りとかの責任にしてちゃダメなんだよね。最終的には自分なんですよ」

パッと聞くと、冒頭の若い女性の質問の答えとはかけ離れているような気がします。でも、矢沢は、こう伝えたかったのではないかと思うのです。

なぜ、
「本当にやりたいこともなくて、もうどうしたらいいんでしょうか。わかんなくて」
というようなラビリンスに迷い込んでしまったのか、胸に手を当てて考えてごらん。

幼い頃には、「ケーキ屋さんになりたい」とか、「AKB48」に入りたいとか「CAになりたい」とか、憧れた人たちがいたんじゃないの?

これは想像に過ぎないけれど、家族や先生、友達から「無理無理」とか「夢としてはいいよね」とか「めちゃくちゃ努力しなくちゃなれないぞ」って言われて、いつしか真剣に「夢を見る」のを止めてしまったんじゃないかな。

ニュースでは良くない事件やスキャンダルばかりが流れてくる。どうやら日本という国は、お父さんやお母さんが育った時代とは違って、もうけっして豊かな国ではないみたいだ。

そう、自分が「やりたいこと」を見つけられないのは、国とか政治家とかのせいに違いない。世の中のせいなんだ。

そう思っているから、
「本当にやりたいこともなくて、もうどうしたらいいんでしょうか。わかんなくて」
なんて、悩んでしまうんじゃないのかい。
いいか!みんな。
もっと自分がしっかりしなくちゃダメだ。
人に何を言われようが、
国が社会がどうであれ、自分自身がしっかりしていたら、そんなの関係ないんだよ。

・・・はい。あくまで想像です。

矢沢に確かめたわけではありません。
でも、きっと矢沢は、「自分をしっかり持て」と言いたかったんだと思うのです。

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