『続けていればこそ』|ちょっといい話 志賀内泰弘

テレビの対談番組に、名脇役と言われる三人の俳優が出演していました。角野卓造さん、小日向文世さん、松重豊さんです。小日向文世さんがこう言いました。

「俺なんか47歳まで借金の山で、『HERО』に出て初めて道を歩いていて、『あっ!』て指を差されるようになったんだよ」

と。『HERО』とは、2001年1月からフジテレビ系列で放映された木村拓也主演の検事もののドラマです。なんと最高視聴率は36.8%という超人気番組でした。

それまで、小日向さんは端役しか出演の機会がなく、事務所から給料の前借りをして生活を凌いでいたといいます。
その言葉を聞いた角野卓造さんと松重豊さんが、まるで声を合わせたかのように言いました。

「続けていればこそだよ」

と。
そうなのです。
二人とも、小日向さん同様に長く売れない役者生活をしていて、辛抱の末に歳を取ってからテレビに出られるようになったのです。 さらにさらに・・・、

「続けていればこそ、そこにチャンスが転がっていたんだ」

とも。テレビに出ている人は、みんな昔から輝いていると錯覚してしまいがちですが、今の地位を確保するまでに並々ならぬ苦労があるわけです。でも、それをサラリと「続けていればこそ」と言うことに心を打たれました。

さて、私自身の話です。
サラリーマン時代の後半、会社に兼業届を提出して執筆の仕事をしていました。とはいうものの、新聞やフリーペーパーのコラムを書いているだけ。著書もまだ一冊か二冊しかなく、素人に毛が生えた程度のものでした。

でも、「書く」ことが好きでした。
二十歳の時、「オール読物推理小説新人賞」を獲ってデビューしたばかりの赤川次郎さんの作品を読んで、「面白い小説を書く人が出て来たなぁ」と思うのと同時に、「これなら僕にも書ける」と思いました。

早速、サラサラッと書いてコンクールに応募。しかし、予選にも引っかからず落ち込みます。書けば書くほど、己の力の乏しさがわかります。それでも、「いつか小説家になりたい」と思いました。

しかし、それは就職活動に四苦八苦しているうちに、熱情はだんだんと冷めて行きました。会社に入ると、仕事と遊びに邁進しました。どんどんと「書く」ことから離れて行きました。

しかし、そんな中、思わぬ仕事を押し付けられました。まずは、社内報の編集委員です。書きはしないけれど、他人の原稿をチェックするのが仕事です。

さらに何年か後には、労働組合の機関誌の編集を任されました。この二つの仕事をするうちに、かつての「夢」が再び、むくむくと頭を持ち上げて来ました。原稿料はタダでもいい、フリーペーパーでも趣味やサークルの会報でもいい。とにかく「書かせてもらえる」場を探して書きまくりました。

ず~と、書くことが好きで、ただ書いているだけ。でも、書き続けていると、本を出すチャンスが巡ってきます。3冊、5冊、10冊・・・どんどんと著作が増えていきます。

でも、それは自己啓発やビジネスのジャンルであり、文学のジャンルの小説ではありませんでした。それでも、書き続けました。そして、還暦を迎えた時、「京都祇園もも吉庵のあまから帖」(PHP研究所)でついに小説家としてデビューを果たしました。

「諦めずに夢を叶えてすごいね」
と、よく言われます。でも、それは違うのです。

途中、何度も「書く」ことから離れました。「諦めない」どころか、小説家になることなど忘れていた時期もあります。続けてはいない、ポツポツと分断しつつ、ゆるゆると続けて来たに過ぎないのです。

今、思うのです。
もっともっと、ちゃんと途切れずに続けて書き続けていたら、もっと早く実現できていたはずと。いまさらですが、続けることの大切さを痛烈に思うのでした。

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