『胸がせつなくて苦しいけれど、暖かくなった話』|ちょっといい話 志賀内泰弘

春のお彼岸です。

それに因むというわけではありませんが、今日は友人のフェイスブックにアップされていたお話を、その友人を通してご本人に転載のお許しをいただき、ここに紹介させていただきます。

ペンネーム「首都圏在住のYさん」のお話です。

     *     *     *     *     *

出会いと別れの季節。
母が天国へと旅立ちました。

ごく当たり前の老衰死でしたが、見送る長男としてはかなり厳しい日々でした。 ここに書くのもどうかと思いますが、これから同じ苦しみを味わう人が必ずいる。

もしかしたら、そんな誰かの苦しみを減らす一助になるかもしれない。そんな思いを込めて書くことにします。

70才を超えた頃から母に認知症の兆候が表れ、少しずつひどくなっていきました。本人に罪がないとはいえ、家族親族は妄想に近い一言一言に振り回され、不仲になっていきます。

明るくて温和だった母が、被害妄想に囚われて悪口を口にするのは見ていられません。もはや手に負えないレベルまできたため、老人ホームに入ってもらいました。

ちょうどそのタイミングでコロナ騒ぎ。感染防止対策上、面会謝絶になって誰とも会うことが出来ず、外出もできなくなって、一気に心と身体の衰えが進んでしまいました。

昨年の末には、残念ながら私が息子とすらわからなくなりました。たまに思い出すのですが、その回数も少なくなります。

ただ、自分にやさしくしてくれる人だとは認識するようで、ときどき、「おにいさん、やさしいね」とニッコリ微笑まれるようになりました。

ある日、老人ホームの庭ベンチに二人で腰掛けていると、急に立ち上がって

「おにいさん、手をつなぎましょう」

とニコニコしながら手を差し出してきます。

そのシワだらけの手を握り返すと、とてもうれしそうにしています。私は自分の母親とつないだ手をブラブラさせながら、苦笑するしかありません(みんな、親が認知症になるって、こんな喜びもあるんだよ)。

残念ながら、その後身体機能も衰えて、歩くことも難しくなりました。病院へ行くのにも、抱きかかえて車イスに載せてあげなければならなくなりました。

検査が終わったあとで、寿司に連れて行くと
「まあ、うれしい」
と喜ぶものの、やっと数口食べられるだけ。
でも本人は帰り際に
「おにいさん、やさしいね」
と声を掛けてくれます。

今年になって衰え著しく、担当医と「今後の治療方針について」面談。現状についていくつかの改善方法、たとえばお腹に穴を開ける胃ろう、点滴、その他の方法などなどを説明してもらいました。

その治療をやればどれだけ長く生きられるのか。本人が辛いかどうか、などなど質問した末、私はそのすべてについて「結構です」とお断りしました。

無理に生かすために、痛いことや辛いことはしないでほしい、できるだけ穏やかに安らかな最期にしてあげてほしい、そうお願いしました。

それは元気だった頃の本人の希望でもあったし、いまや血液検査だけで泣きそうに嫌がっている母には胃ろうどころか、点滴すら止めてほしかった。

そのあとも「心臓が止まったとき蘇生マッサージとAEDは使用しますか?」などたくさんの確認が続きましたが、それもすべてお断りました。

これらの提案、すべて「こんな方法がありますが、やりますか?」と聞かれるのです。するとこちらは「結構です=No」と答えることになります。

この「Noと答えた自分」があとからずっしりくるのです。

どうして少しでも長く生かしてあげないんだ。
もしかして面倒くさいことから逃げているだけなのか。
オレはもしかして最悪の薄情者なのか。
こんな思いが頭をよぎる日々は情けなくて悔しくて、かなりしんどかったです。

老人ホームから「食事がほとんど取れず、寝たきりで動けなくなりました」と連絡がありました。

思うところあり、息子や妹らを連れて老人ホームに行き、感染防止の完全防備服を着て特別許可をもらい、寝たきりの母の部屋に入ります。

もう動くことができなくなった母に、どうしてもプレゼントしたいものがありました。それは「笑い声」です。

気の毒にコロナになって誰とも会えなかった日々。何がなくなかったかといえば笑い声です。

天国へ行く前に最高の笑い声をプレゼントしてやろう。まだ耳が聞こえるなら、みんなの笑い声を聞かせてあげよう。そう思ってわざとみんなでとバカ話をして大笑いしました。

しばらく盛り上がったのち、

「じゃあ、また来るからな、バイバイ!」

と大声で言うと、まさかのことが起こりました。寝たきりの手がピクリと動き、母は両手をあげてこちらへバイバイをしてくれたのです。

母は自分から話さず、みんなの話をニコニコと聞いている人でした。意識朦朧の中で懐かしくて楽しそうな声が聞こえてきて、久しぶりに楽しい気分になってくれたのだと思います。だから「バイバイ」と言われて、つい嬉しくて反応してしまったのではないかと。

ここにいる友人たちにもお願いです。

もし同じ立場になったら、自分を同じように見送ってほしい。「田中さん、危篤」と知らせを聞いたら、病室でしんみりしないで大笑いして、懐かしい笑い声を聞かせてほしい。BGMはジェフベックとヴァンヘイレンにしてくれるとなお嬉しい。

母はバイバイの翌日、おだやかな表情で息を引き取りました。

あのバイバイは絶対この世の別れのあいさつじゃない。少女に戻った母が、楽しかった日の終わりに、「また明日も遊べるよね」と楽しい気持ちを抱えながら手を振ったもの。母を寂しい気持ちで行かせないでよかった。

自己満足かもしれないが、きっと母は理解してくれたと思う。

生まれ変わって、目の前に「ねえ遊んで」と笑顔の少女が現れたなら。 そのときはしっかり遊んであげようと思います。 おにいさんは、やさしいんだ。

     *     *     *     *     *

私も母を17年前に亡くしました。一日、一日、別れの日が近づいて来るあの日のことが蘇り、胸がせつなくて苦しくなりました。

私の母も、延命治療を断りました。息子として、それを受け入れることは本当に辛かったです。でも、本人の思うように逝かせてあげられたことは良かったと、後悔はしていません。

だから、今も母の笑顔をパッと思い浮かべることができます。

合掌。

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