「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動の事務局に、一通のメールが届きました。京都市立西京高等学校の2年生の生徒さんからです。
「プチ紳士の活動に興味を持ちました。そこで、研修旅行に伺い貴社の皆さんと交流させていただけないでしょうか」
という趣旨でした。いくつものグループに分かれて企業訪問する修学旅行らしいのです。
参加者の生徒さんには、訪問の前後に二度、「思いやり」「親切」をテーマにした「ちょっといい話」の作文を提出していただきました。その一つを紹介させていただきます。
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「健気な思いやり」
京都市立西京高等学校
中小路 凜さん
小さな子供の純粋な思いやりに胸を打たれた出来事を紹介したいと思います。今から約八年半前、私の祖母が他界した時のお話です。
祖母は四十代から治療法のない病を患っており、私が物心ついた頃には吸入用の酸素ボンベを携帯しているのが常でした。
ですが祖母にとって初孫だった私はとても可愛がってもらい、私は祖母のことが大好きでした。
入退院を繰り返していた祖母が危篤だという知らせが入ったのは、私が小学校三年生になった春のことです。
普段子供は入れてもらえなかった病院の個室で、集まった親戚たちと共に祖母の最期を看取りました。祖母に会えなくなるのがただただ悲しくて、私は泣きじゃくっていたと記憶しています。
また朧げな記憶ながら、いつも涙を見せない大人たちも泣いていたのを覚えています。
皆が悲しみに暮れる中、当時三歳だった従弟だけが、場の空気にそぐわず
「なんでみんな泣いてんの?」
としきりに尋ねていました。父親から
「ばあばはお星さまになって遠くに行ってしまうんやで。もう会えへんねんで」
と言われて、三歳の子供がその意味をどこまで理解できたのでしょうか。
あるいはどこか安心したのでしょうか。従弟は私たちに言いました。
「泣かんでもいい」
と。その場にいた一人一人にそう言って回ったのです。
今となっては当時の記憶は曖昧なものとなってしまいましたが、その言葉だけははっきりと覚えています。
まだ幼かった私がどのようにそれを受け取ったのかはわかりませんが、今思えばそれは彼なりの思いやりだったのだと思います。
自分が泣いているとき、両親や保育園の先生が、もしかすると祖母が、そう言って慰めてくれたのでしょう。皆が泣いているのを見て、いつも自分がかけてもらっていた言葉が出たのだと思います。
私たちは大人になるにつれて日々のタスクに忙殺され、純粋に人を思いやれる心を忘れてしまうものだと思います。
八年半前の従弟の言葉は、人間誰しもが持っているはずの思いやりを、私に思い出させてくれます。